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小さな頃から考えてきたこと

幼少期に高機能自閉症と診断される。小学生の時にアスペルガー症候群と診断名が変わり現在に至る。このブログが誰かの助けになればいいなと思い開設。

カレーを一人で食べる

こんばんは。

タイトルは小5の時の話です。
小5の夏に林間学校で山中湖へ行きました。1泊2日で1日目はハイキング、2日目はバードコール製作でした。

2日目の昼食はカレー。席はみんな自由に座っています。私は入る所がなく、空いてる所に一人で座りました。
「誰か来るよね」
根拠もなくそんなことを思ってました。

ところが誰も来ず、私は一人カレーを口に運びました。

そのときは辛いとか寂しいとかは思わなかったんだよね。
というか、自分に友達がいないって自覚がなかった。
声かければ話してくれるし、入れてって言えば入れてくれるし。

なんていうか自分の置かれている状況を正しく理解できていなかったというのが本当のところで。

それから十数年経って百貨店の事務のアルバイトをしていた頃、一緒に働いてるメンバーでお昼を食べる時に席の関係で全員座れなくても、誰かが一人にならないように皆で気を遣い合ってた。
このことから、林間学校でカレーを一人で食べたこと思い出したのね。

似たような経験をお持ちの方もいるんじゃないのかなと思います。

これを読んで共感したら是非ブログランキングをクリックしてもらえれば嬉しいです。


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私と恋愛

おはようございます。昨日は久々に表参道へ行って来ました。やはり人が多くてちょっと疲れてしまいました。
発達障害の方って人混み苦手な人多いって聞きますよね。
___________

今日は恋愛について書きたいと思います。

恥ずかしながら私は主人と出会うまでずっと片想いの連続でした。25歳の時にこのままではまずいと思うようになり、とある婚活コンサルタントの元を訪ねました。(本とかも出されているような方です)
そこで「婚活サイトを使ってみては」とアドバイスを頂き、その通りにしたところ主人になる人と巡り会うことができました。

私の片想いは小学校高学年から25歳まで続き、その数は数えてみたら9人。

私が好きになる人って毎回、
「明るい、人気がある、頭が良い」
このどれかに当てはまっているのです。

つまり自分にないものに対する憧れなんでしょうね。

好きになった人にはバレンタインチョコを渡したり、メールしてみたりするもののやはり交際には繋がらず。
メールしても次第に返事が来なくなって、来ても10時間後とかなので完全に彼の中の優先順位が下な訳です。

片想いを交際に発展させるには相手の気持ちを読みながら進める必要があるので私を含めた発達障害には苦手なこととなります。(詳細はまた次回書きます)




ちなみに主人は今まで好きになった人とタイプは違いますが一緒にいて落ち着くし、沈黙があっても気になりません。


↓こちらも参考になればと思います。
http://mikeneko0617.seesaa.net/s/article/416195172.html

私と友達関係

おはようございます。このブログを一人でも多くの方に知っていただけたらと思い、人気ブログランキングに参加しました。
押してもらえると幸いです。

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自分を含め発達障害を持つ人がぶつかる壁はやっぱり友達関係ではないでしょうか?

小学生の頃から大学生、そして今も職場の人との雑談にうまく参加できず…。人間関係にまつわる悩みは尽きません。

唯一友達のいる学生生活を送れたのが高校時代。
その当時の友人とは今でも連絡を取っています。
障害のことは話していませんが、それでも付き合ってくれるので感謝です。


うまくいかない原因はやはり空気が読めないことにあるのではないかと思います。
私は特に小学生時代、「行間を読む」という概念がなかったものですから自分の興味のあることを何の脈絡もなく言ってしまったり、いきなり話題を変えたり…。
まわりはついていけないですよね。

厄介なことに自分を客観視できないので、それが他の人を困惑させていることに気づけない。

アスペルガーって本当に厄介だなと当事者本人でも思います。

高校時代は同じグループの子に「ちょっとしつこい」と言われたこともあります。
やはりそれは特性のひとつである“興味のあることにこだわり過ぎる”ことから来る「アスペルガー独特のしつこさ」(←母の言葉です)が周囲をうんざりさせている。

かといって最小限しか話さないとそれはそれで今度は絡みづらい、取っ付きにくい人になってしまう。
私は今この状態です。
誰かに言われたわけではないけど、きっと職場の人全員がそう思ってるのかなと思います。

もう、開き直るしかないのかな。

自分を大切にしてくれる人がいるのならそれでいいって。

母の苦悩

私は発達障害の子を持つ親のブログをよく読む。

それを読むとふと“お母さんもこんな気持ちだったのかな”と思う。子供に対してやきもきしたりイライラしたり。


母は私の診断が確定した頃、過食に走り激太りした。私が中学生位の時にその話を聞くと、
「もしお酒が飲めていたらアル中になってた」
と言っていた。(母はお酒が一切飲めない)

激太りしたことで、40代前半で閉経を迎えた。
さらに私が中2の秋に糖尿病と診断され、現在はインシュリンを打っている。

母を太らせ、不治の病にしてしまったことは申し訳なく思っている。
母は「あなたのせいじゃないから」と言うものの、やはり私が定型発達だったらと思うと心苦しい。


私の障害のことを母は「病気」という。
いつか治ってくれることを信じて敢えてその言葉を選んでいるのだろう。

母のためではなく、自分のためにだけど少しでも普通に近づけるように頑張ってきた。

そして今、治ってはいないけど普通の人を演じて社会生活を送ることはできる。

親の思う最終目標に辿り着けたかはわからないけど
…。





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小さな頃のこと

私には兄が二人います。二人とも健常です。

ふたりの兄は幼稚園からスイミングスクール、公文に通っていました。

でも私は幼稚園に入ってもスイミングスクールや公文に通わせてもらえませんでした。

どうしてだろう。

子供ながらにそんなことを思っていました。

もちろん兄達は療育に通っておらず、自分だけが決まった曜日に療育を受ける。

それは小学校に入っても変わらず兄達や周りの友達は普通級、私は国語と算数の時間は支援級で授業を受けていました。

そして、私は小学3年の冬に母から告知されるのです。
「あなたは自閉症という病気なの」と。

それを聞いた当時は自閉症がなんなのかわからなかったのですが、自分が他の子と違うというのはなんとなくわかりました。

はじめまして

今年で三十路を迎えます。

プロフィールにも書いた通り、幼少期に高機能自閉症と診断。幼稚園と療育園に並行で通う。

小・中学校は支援級に在籍しつつ可能な限り授業は普通級で受ける。小学4年の時にアスペルガー症候群と診断名変更。

中学卒業後は私立の女子高、女子大(付属ではありません)と7年間女だけの世界で過ごしました。

ちなみに大学では栄養学を専攻。それについてはまた追々ブログで書きたいと思います。

大学卒業後は栄養士として働くもうまくいかず、新卒で入った会社を一年足らずで退職。紆余曲折しながらも現在は派遣社員として事務職で働いています。

2015年、婚活サイトで知り合った人と結婚。
夫にも仕事先にも障害のことは伏せて毎日を過ごす。
幸い、夫は私の苦手なことやできないことを「特性」として捉えてくれています。

長くなりましたが、私の簡単な経歴です。

これを読むことで発達障害を持つ誰かの励みや支えになれればいいなと思います。またこんな人もいるんだよと知ってもらえればと。