小さな頃から考えてきたこと

幼少期に高機能自閉症と診断される。小学生の時にアスペルガー症候群と診断名が変わり現在に至る。このブログが誰かの助けになればいいなと思い開設。

私の得意なこと、苦手なこと

こんにちは。梅雨入りしたもののなんだか雨が少ないですね。
でも私としては雨が降らない方が洗濯できるし、単純に晴れの日が好きなのでこっちのがいいかななんて思ってます。

さて、今日は私の得意なことと苦手なことについてお話したいと思います。

得意なこと:人の誕生日を覚えること、文字や単語を覚えること、書くこと、ルーチンワーク

苦手なこと:急かされること、いっぺんにいろいろ言われること、子供の泣き声、怒鳴り声(男女問わず)、臨機応変に対応すること

今思い付いただけを挙げてみました。

客観的に見ると多くの発達障害の方が当てはまるのではないでしょうか?

発達障害さえなければいいのに、と何度思ったか数えきれません。凸凹がなければもっと生きやすいのに、と。

皆さんは何か得意なことはありますか?

また随時ブログ更新していきます。


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失言

今回は社会人になってからの話です。

今の主人と付き合う少し前に別の彼氏がいました。

その彼氏の家に泊まりに行き、一緒に寝ていた時に私はこう言いました。
「夜が長いね」
すると彼は
「どう反応すりゃいいんだよ」
と怒り出しました。
「秋の夜は長いねってことだったんだけど…」
「睡眠の邪魔してごめん。おやすみ」
「ごめん。今の言葉取り消す」
「勝手にしてくれ」

ちょっとした言葉で怒らせてしまった。
一緒にいる時間が長くなると素の顔が出る。

この出来事がきっかけでお泊まりが苦手になり、後に主人からお泊まりに誘われても断ってしまいました。

ちなみに、この彼氏とは程なくして別れました。

別れても未だにこの出来事を鮮明に覚えています。

協調性について注意されたこと

おはようございます。今朝は以前書いた病院での調理現場の夢をみました。今思い出しても辛い職場です。


今日は前回予告した協調性についてです。

大学二年生の時、食品加工学実習という授業がありました。ジャムやソーセージ、ヨーグルトといった加工食品を実際に作っていく授業です。

オレンジマーマレードを作った回の時、その前週に作ったイチゴジャムを希望者は持ち帰ることができるというのがありまして。

私は片付けが終わったと思ってそのイチゴジャムを取りに行きました。
母親にイチゴジャム持って帰ってくるね、と約束していたから。

ジャムを取ってきて仕舞っていると同じテーブルにいたBさんが一言。
「みんな片付けてるんだから」

片付けが終わったと思っていたのは私だけでまだ終わってなかったのです。

一応同じ班の子にも謝りました。
「みんなが片付けてる時に申し訳ない」と。

授業が終わった後、Bさんに呼ばれました。前から私の態度で気になるところがあったことを指摘され、さらに
「同じ班の子達も言わないでいてくれるだけなの」と言われました。

確かに私はBさんの指摘通り、実験や実習の時何していいかわからずにボーッとしていることもあった。

今思い返すとだいぶ周りが見えていなかった。

実験や実習の班の人間関係がうまくいかないことを年上の知り合いに話したら
「目配り、気配り、心配りだ大事だ」とアドバイスしてくれた。

今ならわかる。その言葉の意味が。

恥ずかしながら、私は気遣いを気遣いとして認識したのが大学に入ってからだった。遅すぎる。

社会に出て仕事をしてようやく注意されたことの意味を知る。

実験も実習も一人じゃない、チームワークなのだからみんなで協力し合わないとうまくいかない。
一人一人が役割をもって動くことが大切。

でも大学二年生の時はいまいちよくわかっていなかった。
言われないとわからない鈍感さ。発達障害の特性が如実に出る。

また、注意してくれたBさんや年上の知り合いには感謝している。気づくきっかけになったから。

チームワークができなかった頃のお話でした。

グループに入った、でも…

こんばんは。4日ぶりとなりました。
なかなか更新できずすみません。
フラッシュバックが辛かったのが今回更新できなかった理由です。
過去の失敗や失言で相手を怒らせてしまったことを思い出すと辛いものがありますよね。


私の大学生活の続きです。

私は夏休み明けには三人での行動をやめて別のグループに行きました。
行った先は六人グループ。最初はうまくいっていたのですが…。やはりここでも輪に入りきれない。


大学二年生に進級し、いつものようにそのグループのメンバーと授業が同じだったため一緒に行こうとしてついていった時、メンバーは自販機に寄ってからいくので私も一緒に行く。
すると、「(授業に)行かないの?時間過ぎちゃうよ」とメンバーの一人のAさんが言いました。

また別の日の授業前、グループのメンバーが座っている所に座らせて貰おうとしたら
「隣(の列)空いてるんだし、移動してくれない?」
とまたしてもAさんが言う。

この時私は“ああ、このグループにとって私は仲間ではなくてただ勝手についてきてる人なのね”と悟りました。

次の日から私はひとりで行動しました。
そこで、同じようにひとりで行動している子と知り合いになって一緒に授業を受けました。
ただ、彼女はクラスが違うので(2クラスに分かれていた)、クラス単位での授業の時は私は一人でした。

一人は寂しいし、定期テスト前に過去問が手に入りにくいし不便なことが多いけど輪に入りきれずにおどおどするよりはましなのかなと思いました。


次は協調性について書こうかなと思います。

私の大学生活

期待に胸を膨らませて大学に入学した。

「取れる資格は全て取りたい」と張り切っていた。
(教職課程を取れば栄養教諭も取得できる学科)

アルバイトも始めた。家の近くのコンビニで。
新しい生活をそれなりに楽しんでいた。

友達もできた。最初は私をふくめて三人グループで行動していた。一緒に授業受けて、ご飯食べて。

でもそれは長くは続かなかった。だんだん私は会話の輪に入れなくなり、なんとなく浮いた存在になる。
夏休み前のある日、いつものように三人で大学の最寄り駅前まで帰っていた。
すると、一人が
「じゃあ、うちらご飯食べに行くから」
と言った。
私以外の二人はご飯を食べに行き、私は帰宅した。

「バイバイ」と別れる時の顔がなんとなく晴れやかなのがわかった。

私だけ置いて行かれるということが他にもあり、私はこのグループを離れようと決めたのだった。

大学で初めてできた友達。だがどこか歯車が合わなかった。

もしかしたら私のような人と歯車が合う方が少数派なのかもしれない。


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栄養士を志した理由

おはようございます。関東もついに梅雨入りしましたね。今日もなんだかすっきりしない天気です。


今日は栄養士を志した理由について書きます。
それは一言で言えば食べることが大好きだから。

私は発達障害の人にありがちな偏食が無いのです。基本的に食べ物は残さないし、何でも食べます。

そんな私に親が「食べ物に関わる仕事はどうか」と勧めてくれました。進路を決める高校生の時です。

母と一緒にとある女子大学のオープンキャンパスへ行き、管理栄養士の資格も取れた方が将来的に良いとのことで管理栄養士専攻を目指すことになりました。

その大学を受けるために高校から推薦をもらい、推薦入試で合格。高校3年の秋でした。

「大学は好きなこと勉強できるから楽しいよ」
当時通っていた個別指導塾の先生がそう言ってました。

春から始まる大学生活に胸を踊らせていました。

この時はまだどんな栄養士になりたいかを漠然としか考えられていなかった。

次は大学時代の話を書きます。

自分の弱点を把握する

病院へ配属になった私は気持ちを新たにして仕事に取り組んだ。

しかし、私はそこのチーフとすこぶる合わなかった。
まず大きな声で怒鳴る。(私は怒鳴られるのがかなり苦手です)

ある男性調理師さんは「ここは和気あいあいとしたところだから」と言っていたが、それは自分たちにとって居心地のよいところなのであって私にはとても居づらい職場だった。

チーフに盛り付けのことで怒られ、終いには
「何もしなくていい」と言われた。
本当に何もしないわけにはいかないと思った私はごみの片付けをしていた。すると、
「あたし何て言った?何もしなくていいって言ったでしょ」
「それは帰れってことですか」
「何もしなくていいとは言ったけど帰れとは言ってない」
要するにチーフと口論になったのだ。
私は最後、盛り付けてた職員食を手で払い落とした。
チーフは一瞬静かになってから
「帰って」
とだけ言い、私はその通り帰った。

そして、私はその病院に二度と出勤することなくそのまま退職した。

せっかく得た栄養士の仕事をたった4ヶ月で辞めてしまった。

栄養士の仕事が全ての事業所でうまくいかなかったことを発達精神科の先生に話すと
「仕事が思うようにいかないのは能力に凸凹があるから」とのこと。
私は自分の障害を自分でしっかり把握できていなかった。もしかしたらそれを今まで避けていたのかもしれない。

当時“次は医療事務の仕事をしたい”と考えていた私に先生は
「試行錯誤ではなくて、ちゃんと自分に合ったところを探した方がいい」とアドバイスしてくれた。

こうして私は栄養士、管理栄養士の資格を持っていながらそれとは別の仕事に就こうと決めたのです。